自己紹介
経歴

平成2年に生まれてから現在に至るまで,ずっと名古屋で暮らしています。
中学の時の内申は40くらいなので中くらいでしょうか。
高校生の時は、3年生になるまで勉強を怠けていました。勉強する意味が何かわからず。
将来何の役に立つの??
勉強する意味がわからないから勉強しない、そして悪いテストの点を周りと見せ合って笑う。
赤点でも気にしない。
勉強しなきゃなと思ったのは、「ドラゴン桜」という漫画がきっかけです。
でも、高校3年から勉強始めてもうまくいきません。 sinθとはなんぞやといった状態でした。
その辺の大学行くなら、やっぱり有名な大学に行きたいということで、親に浪人することをお願いしました。
この時、親はどんな気持ちだったのかと思うことがあります。全然学力が足りない人が「東大行くから浪人させて欲しい」と言ってるのだから。
そこからは,1日中塾の自習室に缶詰で勉強しました。
昼休みはカロリーメイト、夜ご飯はブラックサンダーを食べながら勉強してましたね。
東京大学には届きませんでした。1浪でどうにかなる頭と勉強量じゃなかったのです。
一方で、明治大学と名古屋大学に受かりました。
両親とどちらに行くか相談しましたが、学費の問題もあり名古屋大学に入学することになりました。(東京に憧れていたため、明治大学に行きたかったです。)
大学とはどういうものかわからず,難易度と就職率だけで選んだ大学・学部です。
大学は、楽でした。余り勉強していなくても進学していくことができたからです。
バイトと飲み会で楽しい日々を送っていました。
表面上は充実した生活を送っていたかも知れません。が虚無感はありました。
やりたいことがない。っという状態です。
大学も良い大学だし、将来大丈夫でしょ。っとタカを括ってもいました。
しかし,やりたいことはわからないまま,就職活動を行うことになりました。
就職活動は割とうまくいき,ホワイト企業で有名な会社に内定をもらいました。
ホワイト企業ランキングに名を連ねる会社でさえ、世にいうパワハラやサービス残業が横行している。
まったりと平均年収以上の会社で働けると思っていたのが大違い。
ここからが地獄の始まりです。睡眠時間を削り仕事,疲労困憊で疲れて寝るだけの休日,もしくは自己研鑽という名のサービス残業をする休日も沢山ありました。
初めは自分の知識・経験不足だから仕事が終わらないと思っていました。
ベテランの人達は定時で帰っている人も多かったのです。
ある日、書店に仕事の仕方の本が並んでいることに気づきました。(当時、ビジネス本というジャンルがあることを知りませんでした。)
何冊か本を読んで、自分の行動に間違いがあることを学びました。
大学入試で少し上手くいったからといって、勉強をやめてはならないのだということ。
また、ブラックだと思っていたけど、自分の働き方が良くないことがわかったのです。
読書を習慣づけ、仕事の仕方を変えていきました。
浮いた時間でさらに読書するようになりました。
また、仕事をしていく上でめちゃめちゃ仕事が好きな人に会いました。
後輩だったのですが、幼いころからプログラミングが好きだったようです。
後輩のプログラミング技術は武器となり会社で重宝されています。
私は後輩に憧れて、ITの勉強をするようになりました。
VBAやPythonといった言語も勉強しましたし、(現在もしています。)
ITの国家試験の勉強も始めました。
その中で、応用情報技術者の資格を目指しました。
ITは、勉強開始当初かなり苦戦しました。チンプンカンプンだったからです。
専門用語の多さ、出題範囲の広さ。そして慣れないアルゴリズム問題。毎日の仕事で平日は勉強時間も30分程度しか取れない。
しかし、根気よく勉強を続けて、なんとか応用情報、基本情報、ITパスポートを取得することができました。
ITの勉強は小さいハードルが沢山あるイメージです。
勉強をやめてしまいたくなる時が何回もくるかと思います。(別の勉強もそうかもしれないですが。)
みなさんが応用情報技術者、基本情報技術者、ITパスポートを合格することに私の記事が役立てれば幸いです。
よろしくお願いいたします。